傍聴具合
我が息子のことを謙(へりくだ)って「倅」って言う親父さんたちの会話を聞いたもんですけど、やっぱり浄瑠璃の台詞に出て来るとか、縁台将棋華やかなりし時代の父親の会話に出て来るのが相場だったような気がしないでもないんです。
それで確認の為国語辞書を紐解いて見ると、息子の呼称の説明の別に、「陰茎の俗称」ってあるんです。
テレビで、結婚式の衣装を選択に来た番(つがい)のうちの予定の花嫁が着たいドレスは彼女の乳房が小さ過ぎて適当じゃないって衣装係に言われ、そのドレスが着たいが為に豊胸手術を決心した女性の密着取材を放送していたんです。
公共の場であることもそっちのけで、「どうしても乳房を大きくしたい」の一手張りなんですけど、例え短小で悩んでいたとて「どうしても倅を大きくしたい」だなんて誰が見てるか知れない電波に乗せて言い張る男は稀れでしょうね。
でも、「娘」の大きさを云々しても平気で居られるみたいなのに、何故「息子や倅」の大きさを大声で言うのは憚られたり御法度みたいなのは何んでなのか分からないんですけれど。
「娘」と「息子」は違うけど、その大きさの何が問題なんだか分かりません。
こういう話題をブログると決まって桃色遊戯誘惑みたいなトラック・バックが送信されて来るんですけど、僕は桃源郷を彷徨・散策中ですので、送信されましても読む機会が御座いませんので悪しからず。
筆致俳句/「無理せずに分からない儘知らぬ風」
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